価値ある1尾

磯に立って47年。 これまでに幾度となく後悔や挫折、屈辱を味わい、喜びや悲しみ、感動など様々な経験をさせて頂きましたが、今はそれに感謝しながら生きる毎日です。 そんな中で生まれたのが私のテーマとなった『価値ある1尾』でした。しかし、古希を過ぎてからは釣りの話題もめっきり減ってしまい、テーマとは程遠い話題がほとんどになってしまいました。 老いぼれ釣り師の少しばかりの釣行記とリハビリ運動や孫の話題、旅の話題、つまらないボヤキなどを1年無休で綴ったブログです。

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2019-07-16 (Tue)  08:22

7月16日(火)・駅弁記念日

 おはようございます。













昨日の海の日は、梅雨の合間の束の間の晴れ間が広がりましたが、楽しめましたでしょうか



ご当地延岡は今日から再び下り坂の天気、この不安定な天気が土曜日まで続く週間天気予報です。







1885(明治18)年7月16日に開業した日本鉄道の東北本線宇都宮駅で、日本初の 駅弁 が発売されたことにちなみ今日は 「駅弁記念日」 です。



宇都宮市で旅館業を営んでいた白木屋嘉平が、たまたまその旅館に宿泊していた日本鉄道の重役の薦めで握り飯2個とたくあんを竹の皮に包んで販売したのが日本初の駅弁だったそうで、値段は5銭でした。



但しこの日付については、これより早く他の駅で駅弁が販売されていたとする主張もあるそうで、真意のほどは分かりかねますです。 





50年以上も昔の話ですが、東京から宮崎への移動手段はもっぱら国鉄の列車が主流でした。



当時は東京~西鹿児島間に急行 高千穂 と寝台特急 富士 の2本の長距離夜行列車があって、急行高千穂で東京から郷里の延岡まで帰って来るのにかかった時間は24時間とちょっと、今では考えられない一昼夜を要する列車の旅でした。



東海道線と山陽線は電化されれましたので牽引機関車は直流電気機関車でしたが、九州に入ると日豊線は電化になっていませんでしたので、門司でディーゼル機関車に入れ替えて運行していたものです。











この時の一番の楽しみが駅弁でした。



こんな駅弁を、









こんなプラ容器に入ったお茶と一緒に









ホームで売っている駅弁屋のオジサンから買うのですが、列車が発車間近になってのお金を払ったりお釣りを貰ったの面白かったエピソードが残っているのも当時ならではの急行列車の長閑な旅だったようです。  





しかしこの長閑な旅も年末年始は別で、指定席の無い高千穂に乗るには、発車数時間前から東京駅の八重洲口に並んで座席を確保しなければなりませんでした。



それでも座席が確保できなかった時には東京~門司間を立ちっ放しの時もあったものです。 





懐かしく想い出された同年代のお方もいらっしゃるのではないでしょうか











ってことでどちら様も、今日もぼちぼち張り切って明るく元気に笑顔で1日を楽しくお過ごし下さい。 



今日も1日ご安全に

最終更新日 : 2019-08-14

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